Sep 17, 2010

クリアファイルのあれこれ

私はクリアファイルを何枚持っていますが、よく販売促進や宣伝目的のために、斬新で受けたのが多いです。クリアファイルは、ソフトタイプとハードタイプがあり、ハードタイプは、お気に入りの写真や雑誌の切り抜きなどを挟んで使用して、ソフトタイプは、配られたプリントを曲げないで挟んでおくパターンが多いです。クリアファイルは下敷きの代わりに使用することもありますが、私も過去にクリアファイルを下敷きとして使用しています。
私は新入ある大型マートの関連会社に入社しました。私は、分析系の技術職でしたが、入社直後から従業員の研修を受けました。挨拶時の姿勢から始まり、電話応対、名刺交換などの専門教育担当者を学びました。また、規模の小さな会社が集まっている合同職員研修に参加し、様々な会社の人との接触の良い機会を与えている。
 岩手県釜石市に、120年近い歴史を誇る料亭「幸楼(さいわいろう)」がある。今月7日夜、この老舗料亭から三味線の音色が流れた。東日本大震災後初めてである。

 ♪陸奥(おく)〜で名高い釜石浦は ホイヤーホイ

 大広間の舞台に、三味線を奏でながら「釜石浜唄」をうたう伊藤艶子(つやこ)さん(84)の姿があった。13歳で花柳界に入り、日本舞踊の名取として「藤間千雅乃(ちかの)」の名を持つ、釜石でたった一人の芸者だ。

 ♪いつも大漁で繁盛す〜る…

 三陸沖有数の漁場と製鉄所で知られた釜石は、最盛期の昭和38年には人口9万人を超えた。幸楼だけで30人の芸者、仲居を抱えた時代もあった。釜石の花柳界で昭和初期に広まった浜唄は、そんな古き良き時代を彷彿(ほうふつ)とさせるお座敷唄だ。

 艶子さんは、あの日も幸楼のお座敷に呼ばれていた。早めに夕食を済ませようと、炊飯器に手を伸ばしたそのとき、地面がひっくり返るような大きな揺れに襲われた。通りかかった人に背負われて高台に逃げた。そして、津波が来た。

 震災前約4万人が住んでいた釜石の死者・行方不明者は1061人。今も6378人が仮設住宅で暮らす。艶子さんもその一人である。

                   ◇

 私は、7年前のインド洋大津波の際、東南アジアの被災地を取材した。3月11日以降、外信部デスクとして「アラブの春」の記事の編集作業に追われながらも、気になるのは、原発事故より津波だった。

 そんな4月のある日、英字紙を広げると、病院のベッドの上で正座する白髪の女性の写真が目に飛び込んできた。見出しに「ラスト・ゲイシャ」とあった。艶子さんである。何かをにらむような彼女の表情が印象に残った。

 5月に被災地を訪れると、釜石の避難所で艶子さんを探した。彼女は、体育館の入り口近くで毛布にくるまっていた。体調を崩し、入院していたという。

 かたわらに三味線が置いてある。「負けませんよ、津波なんかに負けていられますか」。写真とは異なる柔和な笑顔さえ浮かべながら、三味線に手を伸ばし黒田節を弾いた。

 三味線も着物も津波に流されてしまったという。すると、この三味線は…。

 「八王子の芸者さんがわざわざ持ってきてくれたのよ」

                   ◇

 東京都八王子市で芸者歴27年という、木村めぐみさん(49)の釜石訪問は私が行く3日前だった。

 織物業で栄えた八王子は昭和27年ごろ、200人を超す芸者を抱えていたという。が、織物業の衰退とともに花柳界も廃れていく。

 「古さというものが逆に私には新鮮だった。こんな素敵(すてき)なものを終わらせたくないと思ったんです」

 地元出身のめぐみさんは花柳界に飛び込んだ。現在芸者は15人。彼女たちの頑張りで、花柳界の灯はともり続けている。

 そんな中、めぐみさんは新聞で初めて艶子さんのことを知った。「三味線がなくてはお寂しいだろう」と避難所を訪れ、三味線を贈った。思いがけない厚情に心を揺さぶられた艶子さんがその三味線で弾いた唄、それが「釜石浜唄」だった。そして、めぐみさんに語りかけたという。

 「浜唄を伝えたくても釜石には人がいない。私からとっていってほしい」

 芸者は自らが所属する花街で芸を磨く。だから、花街間の横のつながりは、まずない。都をどり、京おどり、東をどりというように、それぞれが自慢の舞台を催すのは、そのせいだ。花街を超えた芸の伝承は異例のことである。

 めぐみさんは、艶子さんの思いを受け止めた。その後、若い芸者衆と避難所を2回訪れ、艶子さんから浜唄の踊りと三味線の指導を受けた。そして8月と10月、都内の宴会に艶子さんを招き、浜唄の共演を果たす。津波は、花柳界の垣根のほんの一部をも、押し流したのかもしれない。

                   ◇

 7日夜、震災後初めて釜石のお座敷に出た艶子さんが挨拶で語ったのは、芸の伝承についてだった。

 「浜唄を何とか残したいと思い、東京の芸者さんにお教えしたら若い子にちゃんと伝授してくれまして。釜石の唄が東京にまで普及したのでございます」

 ラスト・ゲイシャとは呼ばせない−。浜唄を次世代に引き継ぎ、米寿(88歳)までの現役続行を決めた艶子さんの覚悟である。

 全日本郷土芸能協会によると、岩手、宮城、福島3県で津波の被害を受けた郷土芸能は約200団体あり、そのうち活動の再開を決めたのは約80団体という。(藤本欣也)

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Posted at 06:35 in Boxing | WriteBacks (0) | Edit
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