Oct 25, 2010

クレジットカードのポイントは、商品

現在クレジットカードは必需品と言っても過言ではありません。現金を持たずに買い物ができる非常に画期的なことだと思います。お金という概念がなく、使用も危険も並べてあるので一括しか使ったことはないが、何よりもポイントが魅力的です。交換できるアイテムも豊富で商品券も変更することができます。クレジットカードの使用に応じてお得感がいっぱいです。
IDカードと身分証明書です。会社の社員証や店舗の会員証などのID番号が入ったカードが発行されます。また、最近では、IDカードにクレジット機能とポイント機能がついたものが登場し、カード発行、無料で提供される場合があります。このIDカードは、企業顧客の獲得に使用される2つの利点があります。
 石川県志賀町の放牧場で飼育されている牛15頭に家畜伝染病「口蹄疫(こうていえき)」の感染が否定できない症状が出た問題で、動物衛生研究所(東京)による遺伝子検査の結果、陰性であることが分かった。農林水産省が12日発表した。

 石川県は11日午前、多量のよだれ▽口の中に水疱(すいほう)のようなものが見られる−−などの症状を把握。獣医の診察で口蹄疫の疑いが指摘された。県は遺伝子検査のため、検体を動物衛生研究所に送っていた。

 放牧場は県の外郭団体「県農林業公社」の管理で、県内農家5戸から約240頭の乳牛を預かって飼育。県は放牧場への進入路を遮断し、半径10キロ以内にある牛・豚の畜産農家5戸に対し移動自粛を要請していた。【近藤希実、林哲平】

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【関西あれこれアニバーサリー】

 「平成の大修理」が進む姫路城(兵庫県姫路市)が国宝に指定されて今年で80年。平成5年には世界文化遺産にも指定され、今でこそ国際的観光地となっている姫路城だが、江戸から明治にかけて市民には“近くて遠い存在”だった。大天守が一般公開されるようになったのは、大正元(1912)年からで、明治43〜44年に行われた「明治の大修理」がきっかけだったという。(勝田康三)

 大天守が現在の5重7階となったのは慶長14(1609)年。江戸時代は池田家、酒井家などと城主が次々と代わった。明治維新後も城は残ったが、明治7(1874)年に陸軍の営所が城内に置かれてから、昭和20(1945)年の終戦まで軍の施設だった。

 姫路市史などによると、明治時代、大天守は“放置”された状態で傷みが進んだが、当時の陸軍省が「明治の大修理」を行い、別名「白鷺城(しらさぎじょう)」と呼ぶにふさわしい美しさを取り戻したという。その後、大天守の一般公開を求める市民運動が活発化。有力者が中心となって国に要望を続けた結果、大正元年8月、実現にこぎつけたと伝えられる。

 市姫路城管理事務所の村田和宏所長(58)は「市民の権利意識が高まり市民運動になった。姫路城への強い思いが最後は国宝指定につながった」と強調。国宝保存法公布の2年後、昭和6(1931)年に国宝指定を受けた。

 第二次世界大戦中、白い大天守は黒い網で覆われた。市民らが米軍の空襲に備えた擬装だった。昭和20年に2度の空襲を受けて市街地は焼け野原となったが、大天守は奇跡的に被害を免れた。

 昭和26年の文化財保護法で改めて国宝指定。「昭和の大修理」(31〜39年)で大規模な解体工事が行われ、白く輝く「白鷺城」が復活した。当時を知る市民らは「ハレーションを起こすほどの白さだった」と振り返る。

 それから46年後の平成22年4月、大天守の瓦のふき替えと白壁を塗り替える「平成の大修理」が本格化した。大天守は素屋根に覆われて外から見えなくなったが、3月26日には保存工事の様子を間近で見学できる「天空の白鷺」が開館する。すでに団体予約が相次いでいるといい、人気は衰えていないようだ。

 三たび美しくなった姿が戻るのは平成27年春。村田所長は「姫路城は市民の象徴であり世界に誇れる城。大天守がある限り、姫路城の存在意義は変わらない」と自信を見せている。

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【舞台はここに】

 平成13年に公開された映画「走れ!イチロー」(東映)は、大リーグでシーズン最多安打記録更新など活躍し続けるイチロー外野手(シアトル・マリナーズ)がモデルだ。

 そのロケが行われたのが神戸総合運動公園野球場(神戸市須磨区)だった。大リーグのボールパークをイメージ。内外野を覆う天然芝が映え、観客席もグラウンド全体を見渡しやすい。イチローは4年からこの球場を本拠地にしたオリックス・ブルーウェーブ(当時)でプレーし、12年のシーズン終了後に大リーグ移籍が決まった。

 原作は村上龍さんの小説「走れ!タカハシ」。そこでは広島カープなどで活躍した高橋慶彦・現千葉ロッテ二軍監督がモデルだった。兵庫県芦屋市在住で、神戸とゆかりが深く、阪神大震災からの復興を見守り続けていた大森一樹監督は、神戸から世界に羽ばたくイチローをモデルに置き換えて映画化。球場をはじめ、有名なスポットや震災の傷跡が残る場所など、ほとんどが神戸市内で撮影された。

 映画の中でイチローが球場の屋内練習場でトレーニングをしたり、関西国際空港から出国する実際の映像も使われた。チームを率いていた故・仰木彬監督が登場するシーンもある。「がんばろう神戸」を合言葉に震災があった7年にリーグ優勝した球団も協力した。

 地域振興につなげようと、映画やテレビドラマなどの撮影を支援するフィルムコミッション(FC)が全国各地で設立されている。各FCの支援などにあたる全国組織「ジャパン・フィルムコミッション」(東京都)によると、約150団体に上る。

 先駆けとなったのが、12年9月に自治体で初めて設立された神戸市の「神戸フィルムオフィス」。「走れ!イチロー」は初めて支援した日本映画だった。

 設立後の支援作品は約1700本に上り、エキストラなどに協力するサポーター登録者も約2千人を誇るが、当時はFCに対する周囲の認識は低かった。試合の雰囲気を再現したシーンでは延べ約1000人のエキストラを動員したが、エキストラ集めに苦戦した。

 「報道機関にエキストラ募集の記事掲載をお願いしたりした。こうした経験を経て、今では地元が積極的に協力してくれる」。同オフィスの田中まこ代表(55)は振り返る。

 映画公開からまもなく10年になるが、球場を取り巻く状況は変わった。当時は「グリーンスタジアム神戸」の愛称で親しまれていたが、命名権導入で「ヤフーBBスタジアム」「スカイマークスタジアム」と名称が変更。今季からは「ほっともっとフィールド神戸」に。16年の球団統合でチーム名も「オリックス・バファローズ」に変わり、統合相手の大阪近鉄バファローズの本拠地だった京セラドーム大阪(大阪市)での試合が増えた。

 それでも、オリックスの浅川邦昭・神戸事業所球場長(51)は「美しい天然芝は野球をするには最高のシチュエーション」と胸を張る。

 その言葉通り、イチローは手入れが行き届いた芝生を気に入っており、シーズンオフに帰国すると必ずここで練習する。今年1月にも訪れている。(加藤浩二)

【メモ】「走れ!イチロー」

 大手ゼネコンをリストラされた石川市郎と熱烈なイチローファンの作家、奥手川伊知郎、“一浪”中に球場でバイトをしている望月竜介の3人の「イチロー」がひたむきに生きる様子を描いた。石井がイチローファンの靴職人から託されたスパイクが入った紙袋を手に、シアトル行きの旅客機を目指し空港ロビーを駆けるシーンで始まる。中村雅俊さん、浅野ゆう子さんらが出演。

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